太宰治の「桜桃」を読んで

太宰治の「桜桃」

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新山口から新幹線に乗った。東京まで4時間半、ゆっくり本が読めるはずだった。ちょっと眼を閉じたのに、何時間も夢境でつまらない考え巡らしていたらしい。もう京都を通過している。外は雨、陰気な景色に流れる窓の水滴にはすり減ったモノクロ映画のようだ。珈琲を買う。「熱いので気をつけて下さい」と珈琲を渡す販売員のすこし触れた指先が冷たくて気持ちが良い

iPadを開いた。青空文庫で太宰治を読み返したくなった。こんな日は何を読んでも元気にはならない。それなら、太宰治で、もっと沈んで静かになろう。「桜桃」を読む。短い小説ですぐに読み終えた。新幹線の窓縁に頬杖をして情景を想像している。夫婦喧嘩で飛び出してきた。薄暗い飲み屋で綺麗な縞を着た女性と皿に盛ら赤黄色に光る桜桃が見える。—子どもより親が大事、と思いたい。子供よりも、その親のほうが弱いのだ。—と桜桃をまずそうに食べては種を吐く…姿が見える。

梅雨の雨で急流となった玉川上水の土手に立っている自分が在る—、手首に固く結ばれた赤い紐を見つめ、少し躊躇している。「小説が書けなくなった、そんな格好良い理由ではないよ、もう精一杯なんだ、生活苦で疲れたたんだ」、と妄想の世界に入りこんでいたら、もう東京である。妻に何か買って帰ろうか。

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