太宰治の『富嶽百景』を読んで

『富嶽百景』:大宰治

『富嶽百景』の感想を書くのは難しい。自分を否定した暗いユーモアのある大宰治の小説と違い、爽やかなユーモアがある平穏な私小説です。昭和13年初秋とあります。その前年の昭和12年3月に妻の初枝と心中未遂、6月に離婚しています。過去から解き放され、気持ちが安定した時期だったのでしょうか。

井伏鱒二を頼り、御坂峠の天下茶屋に滞在した、数ヶ月の生活を淡々と日記のように書いています。日々姿をかえる富士山を、風呂屋のペンキのようだと軽蔑したり、けなしたり、ありがたがったり、偉いと思ったり、きれいと思ったり、俗な山と思ったり、見て安心したり、あげくは富士山にお願いごとしたり、茶屋のおばさん、大宰を慕う娘、訪問者、峠を訪れる人々の背景に、大げさな形容詞を使わずに描写しています。

ねるまえに、部屋のカーテンをそっとあけて硝子越しに富士を見る。月の在る夜は富士は青白く、水の精みたいな姿で立っている。私は溜息をつく。ああ、富士が見える。星が大きい。あしたは、お天気だな、とそれだけが、幽かに生きる喜びで、そうしてまた、そっとカーテンをしめて、そのまま寝るのであるが、あした、天気だからとて、別段この身には、なんということもないのに、と思えば、おかしく、ひとりで布団のなかで苦笑するのだ。——

茶屋に滞在中に井伏鱒二の勧めで、甲府の娘(石原美和子、次の年結婚)と見合いをしている。その人と結婚したいと思った。しかし、問題があった。結婚式の金銭の助力を期待していた実家から、一銭の助力も無いことが明らかになった。

縁談ことわられても仕方が無い、と覚悟を決め、とにかく先方へ、事の次第を洗いざらい言ってみよう。———
母堂は、品よく笑いながら、「私たちも、ごらんのとおりお金持ちではございませぬし、ことごとしい式などは、かえって当惑するようなもので、ただ、あなたおひとり、愛情と、職業に対する熱意さえ、お持ちならば、それで私たち、結構でございます、」

娘は石原美和子で、その次の年は二人は井伏夫妻の媒酌で結婚しました。この後「斜陽」を発表するまでは、明るい作風の「女生徒」、「走れメロス」などを意欲的に発表しています。

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