又吉直樹の読書エッセイ『第2図書係補佐』を読んで

『第2図書係補佐』:又吉直樹

渋谷のセンター街を真っ直ぐ歩いて、突き当たったТ字路を右に曲がったところに、吉本興業の若手芸人発掘の劇場『ヨシモト∞ホール』がある。この本は、その劇場で2006年6月〜2007年七月の間に発行したフリーペーパーに、又吉直樹が連載していた「本を紹介するコラム」に、書き下ろしを追加してまとめた本です。

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「はじめに」に又吉直樹は、本を紹介することについて、身を縮めるように「僕の役割は本の解説や批評ではありません。僕にはそんな能力がありません。心血注いで書かれた作家様や、その作品に対して命を懸け心中覚悟で批評する書評家の皆様にも失礼だと思います。だから、僕は自分の生活の傍らに常に本という存在があることを書こうと思いました。本を読んでから思い出せたこと。思い付いたこと。本を読んだから救われたこと。」と書いています。

又吉直樹が芥川賞作家、作家になる前に書いた「読んだ本とかかわる自身のエッセー」でしょうか。疎外、羞恥、道化、涙を、読んだ本に馴染ませてしまうことができるのは、読んだ本の多さでしょうか。読み終えて、なるべくして作家になったんだな、と思いました。

私も読んだことがある古井由吉の『杳子(『杳子・妻隠』)』で、又吉直樹が数年一緒に過した彼女について書いている。後半の一部を引用します。

・・・二ヶ月が過ぎた。その人と僕は一緒に過すことが多くなった。その人は凄く明るい人だった。僕は二十代前半の頃、眠れない夜は川に行った。川に行くと自然と涙が出た。そこで、涙を流し体力を消耗すると眠れるときがあった。その人はそんな僕を気持ち悪がったりせず笑顔で迎えてくれた。そして梨や桃などの果物を剥いて食べさせてくれた。その人は「何で変なことばかり言うの?こんな頭のおかしい人には初めて会った」と言った。「外では変なことを言わないように、普通にしよう普通にしようと思っていたら疲れて無口になってしまった」と言ったら不憫に思ったのか。「じゃあ、私の前では変なこと言っていいよ:と言った。「でも疲れるやろう?」と聞いたら、その人は「疲れても大丈夫」と笑顔で応えてくれた。
しかし、大丈夫ではなかった。その人は僕から毒を吸い元気にしてくれた。だが反対にその人は随分と静かになった。出会ってから数年が経っていた。その人は疲れ果てて東京での生活を止めてしまった。今は田舎で静かに暮らしている。
その人は日常的に本を読む習慣がなかったが、僕が大好きな作家の本だと説明し『杳子』を貸した。「私は馬鹿だから何も解らないけど、あなたが、この本を好きなのは凄く解る」とその人は言っていた。

この本の最終章に、又吉直樹が好きで尊敬する芥川賞作家の中村文則との対談がある。もちろん又吉直樹が作家になる前の対談です。そのなかで、

中村:でも、又吉くんは本を研究したわけでじゃなく、本を大量に読んだんですよ。で、大量に本を読むと人間の中に何が起るかと言うと、変な海みたいなものが出来あがる。特に、又吉くんの場合は純文学を読むことが多いでしょう?
又吉:そうですね。

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