齋藤孝の『語彙力こそが教養である』

『語彙力こそが教養である』:齋藤孝

分かりやすい”目から鱗が落ちる”ハウツー本

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齋藤孝は明治大学教授で学生たちに講義をしている。きっと”目から鱗が落ちる”講義でしょう。一度は聴いてみたいものです。おぼろげにこんな感じに表現したいと思っても言葉が出てこない。いらいらする。見ても、ありのさまをとらえる語彙がない。つまり見落としている。狭い範囲でしか見えてない、目先だけの見識になる。この歳になって自分に一番欠損している教養が語彙力と気づいている。

『語彙力こそが教養である』を読み終えて、明日から意識的に実践するのが楽しくなりそうです。なぜなら齋藤孝の語彙を増やす幅広いインプットのノウハウは、私には”目から鱗が落ちる”How-toだったからです。ただむやみに多く読めば良いわけではないようです。

『語彙力こそが教養である』

この本の「はしがき」に、本書全体を貫く大きな定義が述べられています。

「語彙とは、教養そのものである」」誤解しないでください。ここで語彙とは、ただ「たくさんの言葉を知っている」暗記的な知識を指しているのではありません。たしかに辞書的に考えるなら、語彙が豊かということは「知っている語句の総量」が多いということ。つまり、知識の問題に映ります。
でも、もう一歩踏み込んで「知っている語句の総量が増えたのか?」を考えてほしいのです。
語彙とは、勝手にふえるのものではありません。語彙が増える過程で、たくさんのインプットがあったはずです。本や映画、テレビなどメディアからのインプット、さらに人生の経験からのインプットがあったから、豊かな語彙がつくられた。
ーーーーーこれは、ただの「知識」でしょうか。いや教養以外のなにものでもありません。

名著、古典、映画、テレビ、インターネット、歌詞、落語と、幅の広いインプット方法を、巧みな引用で説明しています

大目次

第1章 教養は言葉の端々に表れる

第2章 語彙力はアップには名著が近道

第3章 テレビやネットで言葉は磨ける

第4章 8つの訓練で「使える語彙」にする

第5章 洗練された言葉づかいを身につける

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