村上春樹のエッセイ『村上ラヂオ』、『村上ラヂオ2』

『村上ラヂオ』『村上ラヂオ2』:村上春樹 大橋渡(画)

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私は特に『村上ラヂオ2』が好きで、孫が好きな漫画を繰り返し見ているように、何度か読んでいる。そのたびに、もう一遍、次もと、ご苦労にもまた最後まで読んでしまった。
エッセイのタイトルが—「オリンピックはつまらない」、「右か左か」、「究極のジョッキング・コース」、「夢みる必要がない」、「手紙が書けない」—-そして「太宰治は好きですか?」、「他人のセックスを笑えない」、「本が好きだった」—と続いていれば、もう一遍、そして次もと読み続けてしまうでしょう。

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どちらもananに連載されたエッセイを文庫本にしたものです。『村上ラヂオ』は2000年3月〜2001年3月、『村上ラヂオ2』は10年後の2010年3月〜2011年3月まで連載されたものを加筆修正してまとめたものです。
挿絵は村上春樹の希望で大橋渡の版画です。団塊世代の男性だったらセクシーなグラビアが掲載されていた「平凡パンチ」を布団の下に隠して読んでいたでしょう。「平凡パンチ」の特徴ある表紙を描いていたのが大橋渡です。

ananは20代女性向けの雑誌です。当然私は読んだこともなく、村上春樹がエッセイを連載していることを知りませんでした。2000年、それに2010年は村上春樹が「1Q84」を書き終えたころで、とんでもない有名作家です。「なぜ、村上春樹がananなんかに?」と思われたようです。当時、ananを読んでいた女性はラッキーでしたね。

村上春樹ほど批判を受けた作家はいないでしょう。それでも、村上春樹はananのエッセイを書く心構えとして次のように言っています。

まず、『村上ラヂオ』のあとがきで、
ただ、若い読者を対象にして書くにあたって、ひとつ前もって自分なりに決めておいたのは、安易な決めつけみたいなことだけはやめようということでした。「こんなことは当然みんなわかっているはずだから、いちいち説明する必要なんてないだろう」というような前提を含んだ文章は書かないようにしようと。それから何が正しくて、何が正しくないというような押しつけがましいことも、なるべく書かないようにしようと。だってある人にとって正しいことが、別の人にとって正しくないこともあるし、あるとき正しいことが、別のときには正しくないことだってあるわけだから。

それから、『村上ラヂオ2』のエッセイ「エッセイはむずかしい」では次のように書いている。

ーーーとはいえ僕にも、エッセイを書くに際しての原則、方針みたいなものはいちおうはある。まずひとつは人の悪口を具体的に書かないこと(これ以上面倒のたねを増やしたくない)。第二に言いや自慢をなるべく書かないようにすること(何が自慢にあたるかという定義はけっこう複雑だけど)。第三に時事的な話題は避けること(もちろん僕にも個人的な意見はあるけど、それを書き出すと話が長くなる)。

これをクリアしてエッセイを書こうとすると、結果的に「どうでもいいような話」になってしまうと、言っている。しかし、どうでもいい話に村上流の視点とオチがあるから、20代の女性にも、団塊の世代にも読めるのでしょう。

神保町の古本屋の前にananが積まれていたら発行日をチェックしようと思っている。

読んでみて下さい。

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