村上春樹の『職業としての小説家』

村上春樹の『職業としての小説家』

村上春樹は『職業としての小説家』として出版する前に、講演原稿を書くつもりで全体の文章を統一したと言っている。「全300頁の講演原稿!」珈琲を飲みながら村上春樹の講演独り占めです。いま小説を書いている人、書きたいと思っている人、何も書いてないけど感性豊かな人、そんな人たちには「小説家を職業とするため教科書」、さらに私のような一読者には「ものの見方、プロの姿勢を教えてくれるハウツー本」で、さらに「村上春樹に対する好奇心」を満たしてくれる。

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村上春樹の作品を批判する評論家、作家は多く、なかには品位が問われるような言葉もあります。
しかし、誰が何と言おうと『職業としての小説家』は大作家の語りです。どのようにして作家になれたのか、どうしたら作家になれるのか、ひとつの作品をどのように想像し完成させたのか、長く書き続けるためには生活ルーチンは、などを分かりやすい言葉で説明しています。読者に対して極めてフェアで、読む人によっては何百、何千倍にもなるコストパフォーマンスの高い本です。

目次紹介
第一回:小説家は寛容な人種なのか
第二回:小説家になった頃
第三回:文学賞について
第四回:オリジナリティーについて
第五回:さて、何を書けばいいの?
第六回:時間を味方につける-長編小説を書くこと
第七回:どこまでも個人的でフィジカルな営み
第八回:学校について
第九回:どんな人物を登場させようか?
第十回:誰のために書くのか
第十一回:海外へ行く。新しいフロンティア
第十二回:物語のあるところ・河合隼雄先生の思い出

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私の場合は大いなる好奇心です。村上春樹の小説を読んでいると凡人の私にはいくつかの疑問が湧いてきます。例えば、「こんな突飛な発想は夢にでも出てきたのかな?」と思えるような、突然落とし穴に落ちたような展開、それに多元が交差する物語の創作の起点は? 神宮球場でヤクルト戦を観ていて天の啓示をうけたように突然小説を書こうと思ったと言っているが、処女作の『風の歌を聴け』は堰を切ったように数日で書き上げたの?
そうではなかったようです。手を動かし文章を書きながら考え、書き終えたもの何度も何度も読み返し、書き改めを繰り返しながら作品を完成させているそうです。処女作の『風の歌を聴け』は、文体を確立するために一度英文で書いて、それを日本語に置き換えたりしたそうです。

しかし我々では計ることができない深いものがあるようです。それは最後の章『物語のあるところ・河合隼雄先生の思い出』に書かれています。

僕らが会って話をして、でも何を話したかはほとんど覚えていないと、さっき申し上げたわけですが、実を言えば、それは本当はどうでもいいことなんじゃないかと思っているのです。そこにあったいちばん大事なものは、話の内容よりむしろ、我々は何を共有していたか?ひとことで言えば、おそらく物語というコンセプトだと思います。物語というのはつまり人の魂の奥底にあるべきものです。それは魂の一番深いところにあるからこそ、人と人を根元でつなぎ合わせられるものなのです。僕は小説を書くことによって、日常的にその場所に降りていくことになります。河合先生は臨床家としてクライアントに向き合うことによって、日常的にそこに降りていくことになります。あるいは降りていかなくてはなりません。河合先生と僕とはたぶんそのことを「臨床的」に理解し合っていた。匂いで分かりあうみたいに。もちろんこれは僕だけの勝手な思い込みかもしれません。でもそれに近い何かしらの共感があったはずだと、僕はいまでも実感している。

読み終えて、今まで読んだ村上春樹も小説を読み返してみたくなりました。

高校生から私のようなシニアまで読める良い本です

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