北鎌倉建長寺と三島由紀夫の『海と夕焼け』

『海と夕焼け』:三島由紀夫

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東慶寺の梅を見た後、建長寺に寄った。この日は寒く境内は人もまばらだ。裏山の半蔵坊まで登ってみようか。長い石段の途中ですれ違ったお坊さんの後ろ姿を見て、ずいぶん前に読んだ三島由紀夫の短い小説を思い出した。家に帰って本棚の現代日本文学館、三島由紀夫(昭和41年発行)にあった。『海と夕焼け』、確かに建長寺の裏山が小説の舞台である。

DSCF3208このように始まっている。

IMG_3914-2文久九年の晩夏のことである。のちに必要になるので付け加えると、文久九年は西暦千二百七十二年である。
鎌倉建長寺の裏の勝上ヶ岳へ、年老いた寺男と一人の少年が登ってゆく。寺男は夏のあいだも日ざかりに掃除をすまして、夕焼けの美しそうな日には、日没前に勝上ヶ岳へ登るのを好んだ。
少年のほうは、いつも寺へ遊びに来る村童たちから、啞で聾のために仲間外れにされているのを。寺男が憐れんで、勝上ヶ岳の頂きまでつれてゆくのである。
寺男の名前は安里(アンリ)という。背丈はそう高くないが、澄み切った碧眼をしている。鼻は高く、眼窩は深く一見して常人の人相とは違っている。

私のあらすじ

安里は少年の頃セヴァンヌ(フランス)に羊飼いだった。少年の安里は異様な力に引かれることになる。その帰するところが建長寺の寺男だった。奴隷で印度に売り渡され、そこで大覚禅師に救われ共に日本に来て20年になる。

勝上ヶ岳の頂きに座ると、稲村ヶ崎あたりに沈む夕日が沈むのが見える。水辺線の高い空の鰯雲が「まるで羊の群れ」のように見える。安里は、澄んだ碧眼を少年に向けて、耳の聞こえない少年に仏蘭西語で自分の数奇な人生を語り始める。

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建長寺半蔵坊から相模湾が見える

—むかしお前ぐらいの年頃、羊飼いの少年だった頃、ある夕暮れ、基督が丘の上から自分に近づいて来て、手をさしのべ「聖地のエルサレムを奪え返すのはお前だよ、マルセイユへ行くがいい 地中海の水が二つに分かれて、お前たちを聖地へ導くだろう」と言った。フランスの各地で同じようなことが起こっていた。引き止める親たちを振り払い各地から集まった数千もの少年、少女たちが、この十字軍に参加してマルセイユを目指した。途中多くが亡くなり、やっとマルセイユに着いたときは1/3になっていた。少年、少女は夕日が射してまばゆい海が左右二つに分かれると信じていた。しかし、海は分かれなかった。そして、エルサレムまで船で連れていってやると騙され、アレクサンドリアの奴隷市場で全員売られてしまった。—-

安里は遠い稲村ヶ崎の海の一線を見る。信仰を失った安里は、今はその海が二つに割れることなど信じない。しかし今も解せない神秘は、あのときの思いも及ばぬ挫折、とうとう分かれなかった海の真紅の煌めきにひそんでいる。おそらくは安里の一生にとって、海がもし二つに分かれるならば、それはあの一瞬を措いてはなかったのだ。そうした一瞬にあってさえ、海が夕焼けに燃えたまま黙々とひろがっているあの不思議…

10分ぐらいで読める短い小説です。三島由紀夫が凝縮されているような気がします。

神の奇跡が起きなかった不思議。遠藤周作の『沈黙』の「人間がこんなに哀しいのに 主よ海があまりにも蒼いのです』を思い出しました。

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