梅雨の6月19日は『桜桃忌』

6月19日、桜桃忌です。私は三鷹の太宰治のお墓に行ったことはない。今年も行かないでしょう。

盟友だった檀一雄は昭和二十三年、「太宰治の死の原因を考えていって、私は疑いもなく、彼の文芸の抽象的な完遂の為であると思った。文芸の壮図の成就である。。。。」と述べている。そうであれば、一両日で書き上げたと思われる『桜桃』が、その文芸の成就と死の意思を伝えた小説でしょう。

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『桜桃』

『桜桃』は短いので何度も読み返せる。最後の、”桜桃が出た。”からの文章は不思議である。桜桃、桜桃を喜ぶだろう子供、情景が一変する。この桜桃の部分がなくて、本の題名が『遺書』だったとしても読みとれるのに、はじめに桜桃ありき、作家だなと思ってしまう。

子供より親が大事、と思いたい。子供よりも、その親のほうが弱いのだ。

桜桃が出た。私の家では、子供たちに、ぜいたくなものを食べさせない。子供たちは、桜桃など、見た事も無いかもしれない。食べさせたら、よろこぶだろう。父が持って帰ったら、よろこぶだろう。蔓を糸でつないで、首にかけると、桜桃は、珊瑚の首飾りのように見えるだろう。

しかし、父は、大皿に盛られた桜桃を、極めてまずそうに食べては種を吐き、食べては種を吐き、食べては種を吐き、そうして心の中で虚勢みたいに呟く言葉は、子供よりも親が大事。

同じく檀一雄は昭和三十五年の桜桃忌の六月の読売新聞に:

…. 生前「桜桃」や「紫露草」のことがよく太宰の口から語られていても、私はただ愛好の果実や花の名称であろうと見過ごしてしまっていたが、ようやくこのごろ、庭の「紫露草」の濃紫色をみるとそろそろ、太宰の命日が近づいてきたと感じるのである。
つまりは太宰の誕生日が近づいてきたわけで、やっぱり太宰は「紫露草」と「桜桃」を自分の誕生にゆかりの花と果実として熱愛していたことを知って、私は微笑みが禁じ得ないのである。だれでもそうであろうが、太宰は自分が愛するものがあると、その表現に心魂を砕く。…

「紫露草」、「桜桃」….少女趣味的なところ…「自殺」は、同じ線上にあっても違和感がないような気がする。

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太宰治 文学全集 – SHINA NAKAMURA

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