幸田文の随筆『木』を読んで

『木』:幸田文

ブレーカを落として田舎の家を出るとき、本棚から文庫本、幸田文の『木』を一冊抜き出しポケットに入れた。幸田文は読んだことがなかった。

幸田文のエッセイ集『木』には、北は北海道、南は屋久島まで木々と交流した十五のエッセイが収められている。幸田文の樹木の観察眼と日本語は、驚くほど新鮮でした。今まで幸田文を読まなかったのが悔しい。

父親の幸田露伴の教育方針で、子供の頃から樹木は身近にあり、樹木を育て愛していた。樹木に関わる幸田露伴との逸話も書かれている。しかし、エッセイは、好きな樹木の素晴らしさの話ではなく、樹木を五感で感じ、一方で距離を置き冷静に観察している。老樹の立ち姿、森の倒木、倒木の上の新樹、材になった木、材の生命と、十五編のエッセイで樹木の生命、運命、輪廻転生を書いている。

老いた頃の幸田文は樹木を見に行くために周りに我儘を言っていたようで、深い森を巡るために多くの営林署の職員などの世話になったことも書かれている。みな樹木に特別の思いを持った人達で、幸田文を世話し、案内することが嬉しかったようです。

このエッセイの中で、私も見たことがあって、イメージを共有できる樹木がありました。山梨県の「神代桜」です。私なんか「すごい桜だな!」と最低の形容詞で感嘆しながら、カメラのシャッターを押していました。幸田文の文章を読んで「そうなんです、そう表現したかったのです….」
引用します。

先年、山梨県北巨摩郡の神代桜という、天然記念物に指定されている老木の花を見た。樹種はエドヒガン。行った日はちょうど花盛りの、それも最も見頃な1日に当っていて仕合せした。神代と呼ばれるだけあって見るからに古さのわかる巨木で、根もとはなんといったらいいか、これが桜の木かと疑うばかりの、奇妙な姿をしていた。岩石のかたまりのような恰好であり、色であり、瘤とも見える膨らみがからみあい、荒々しくおどろおどろとしている。花は形も上品、色も上品、花のつきかたもひと風情あってやさしいのに、ひとたび目を根元にうつすと、驚かないわけにはいかない。花は今年咲きいでた若いいのち、根は長い年代を経てきた古いいのち、ちょっとショッキングな対比である。コブコブな岩のかたまりのような根が、ずっと高い梢の先に,可憐で上品な花を咲かせている。美しいとも頼もしいともいえるけれども、それだけには浮かれ切れない。”古いもの”が身に漂わせているこわさを感じないわけにはいかない。—-

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