子供の詩を読んで

子供の詩を読んで

押し入れを整理していたら、ガリ版刷りの詩集があった。嫁いだ娘が小学生だった頃のクラスの詩集である。子どもの目線で、少ない言葉で書かれた詩には、はっとさせられ表現がある。

20120921-1-6514

その詩集に、「しょうがいじ」と言う詩があった。障害児の妹を思い、守ろうとする男の子の詩である。男の子の悔しさと、この詩を読んで、きっと涙したご両親を思うと、切なくなる。

しょうがいじ

ぼくの妹は、しょうがいじだ。
学校に来ると中に、
どっかの子どもが妹を見ると。
「注射」
などと言って、
妹をいやがらせる。
そうゆう奴を見ると、
兄のぼくはそいつを
なぐりたくなる。
そいつがしょうがいじだったら、
ぼくはそいつに
いやがらせをしてやる。

谷川俊太郎の詩集「二十億光年の孤独」に「生長」(成長ではない)と言う詩がある。

三才
私には過去がない
五才
私の過去は昨日まで
七才
私の過去はちょんまげまで
十一才
私の過去は恐竜まで
十四才
私の過去は教科書どおり
十六才
私は過去の無限をこわごわみつめ
十八才
私は時の何かを知らない

谷川俊太郎の二十歳ぐらいの時の詩である。この続きは、どんな詩になるのだろうか。いま、過去は生命の誕生の起源から、宇宙の誕生にまで行き着こうとしている。しかし、自分自身と言えば、過去が長くなり、人生経験が豊富になり、表現語彙が増えたはずなのに、小学生程度の詩も書けなくなっている。

「二十億光年の孤独」は英文対訳(Two Billion Light-Years of Solitude」で、「生長」は、

Three-
I had no past
Five-
my past stopped yesterday
Seven-
my past stopped with a top-knot
Eleven-
my past stopped with dinosaurs
Fourteen-
my past was nothing but school books
Sixteen-
I timidly looled at the past’s infinitude, and
Eighteen-
I don’t know what time it is

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