スクラップ・アンド・ビルド:羽田圭介
羽田圭介の『スクラップ・アンド・ビルド』を読んでみた。同芥川賞の又吉直樹の『火花』は、私には始めリズムが合わなくて読みにくさを感じたが、こちらはすんなり読み進める。
「死にたいのか、生きたいのか、死んでもらいたいのか、厄介でも生きててもらいたのか」老人介護の問題は他人事ではない。この物語の主人公は「子供と老いた親」ではなく「孫と祖父」の関係であるところがおもしろい。
読み終えて、自分は介護される側にずっと近い年齢なのに、介護する20代の孫の立場で読んでいたことに気がついて苦笑している。
私のあらすじ
物語の環境は、勤めに出ている母、三流大学を卒業して無職になっている健斗28歳、そして三年前から同居している87歳の祖父です。
「死にたい」を繰り返す祖父に「引き算の介護」
「痛い、死にたい」と繰り返し、それで油断をすれば甘える祖父に対して、娘である母は「まったく甘えんじゃないよ、楽ばっかりしていると寝たきりになるうよ」怒鳴りつける。つまり母も健斗もリハビリのためといって厳しい「引き算」の老人介護方針である。本人しかわからない主観的な苦痛や不快感はとんでもなく大きいのか。病院に連れていっても生死に関わる病はみつからない。祖父の死へのハードルはあまりに高い。
尊厳死させるのが孫の役割?
健斗はある思いに至る。自分は祖父の魂の叫びを聞き流していたのではないか。痛みに耐え続ける先にあるものが死だったら、早く死にたくなるものではないかと。そして、まだ歩ける祖父が階段から飛び降りて死ぬ勇気がなかったら、勇気がない老人に尊厳死さてやるのが孫の自分に課せられた役割ではないかと考える。早く尊厳死させる方法は「足し算の介護」であると考えた。なんでもやってあげる、甘えさせる。すると脚の筋肉、使わない機能が衰えて早く死に至ることになる。「引き算の介護」には忍耐が必要であるが、「足し算の介護」はハードワークである。
自分も悟る、自分に課したハードなトレーニング
しかし、これは健斗自身の生活にメリハリをつけることになる。再就職して社会へ復帰するための勉強、そして地獄の筋力トレーニングを課した。さらに、ご無沙汰しているセックスを補うたオナニーで1日3回の射精を課し、”使わない機能は衰える”の逆を行けば、つまり老人を弱らせる逆を行けば全ての能力は向上し人生は前進するという悟りを開いた。
自分は大きな思い違いをしていたのではないか
そして、苦痛のない死を願う祖父のモティベショーンもかつてなく高まってきたと思われた。しかし、ある日祖父を風呂に入れた。祖父の胸のあたりまでしかない浴槽で、祖父は健斗の右腕をつかんだまま離そうとしない。「おぼれる」、「おぼれないよ、こんな狭い浴槽で」健斗は、こわがる祖父の手を振りほどき、トイレに行って、リビングで小休止した。
風呂場に戻り戸を開けると、祖父がもがいている。おぼれていた。健斗は恐怖におそわれた。三半規管を弱らせた祖父はなんでもない浴槽で体勢を立て直せずパニックになった。怒られる、わざと沈めようとしたと、思われたのではないか。祖父が口を開いた、
「ありがとう。健斗が助けてくれた」
「死ぬとこだった」
違ったのか。自分は大きな思い違いをしていたのではないか。こうして孫をひっぱりまわすこの人は、生にしがみついている。
祖父との別れ、二人の絆、二人の成長
健斗の就職が決まった。勤務先は茨城で家を出て行くことになった。
「茨城なんか近いんだし、余裕ができたらまた戻ってくるよ」
「じいちゃんのことは気にせんで、頑張れ」
健斗には健斗の時間があるけん、来んでよかよ。じいちゃん自分のことは自分でやる」