『青い山脈』:石坂洋次郎
『青い山脈』は1947年(昭和22年)に「朝日新聞」に朝日新聞に連載され、連載後の書籍は大ベストセラーになって、1949年から1988年まで5回映画化されています。私が生まれる前の作品で、私が初めて読んだのは1965年頃、中学生だったと思います。
改めて読んでみると、1947年は連合軍の占領下の時代で、突然現れた民主主義に戸惑っている時代です。封建的な伝統を重んじる女子高校を舞台にした男女交際をめぐる物語で、封建制を打破しようとする女性ヒロインの器量が魅力のフレッシュな青春小説です。その人気は、その後の日本の民主主義、学校教育制度に大きな影響を与えたことは間違いありません。
4年後の1951年に三島由紀夫が週刊朝日に『夏子の冒険』を連載しています。破天荒なヒロインの夏子の魅力と活動力をコミカルに書いた作品で、三島由起夫は『青い山脈』を意識していたのではないかと思っています。
石坂洋次郎は青森出身で、慶応大学の文学部卒業後に青森県立弘前高等女学校、秋田県立横手高等女学校の教師をしています。『青い山脈』の舞台は在職が長かった秋田の高校と言われています。
小説の冒頭です。
六月の、ある晴れた日曜曜日の午前であった。
駅前通りの丸十商店の店の中では、息子の六助が、往来に背中を向け、二つ並べたイスの上にふんぞりかえって、ドイツ語の教科書を音読したいた。恐ろしくふきげんそうな様子である。
折から、どの線かの列車が入ったと見えて。陽ざしの明るい往来を、ひとしきり人の波がゾヨゾヨと流れて行った。
「今日はー」店先で、若い女の声がした。
見ると、紺の短いセーラー服を着て、浅ぐろい、よく伸びたすねをむき出し、紅い緒のげたをつっかけた、農村の者らしい、丈夫そうな女学生が立っていた。
この小説には、二組の男女の主人公が登場します。一組は小説の冒頭で登場する、女学生の寺沢新子と大学浪人の金谷六助で、二組目は東京から赴任まもない寺沢新子の担任、島崎雪子と学校医である青年医師の沼田玉雄です。
寺沢新子に反感を持つ生徒が新子宛てに書いた一通の偽ラブレターが、いつしか町を揺るがす大騒動に発展してしまう。
作品の中で、偽ラブレター文に幼稚な間違いが多く、「恋しい恋しい恋人」と書くところを「変しい変しい私の変人」となっているエピソードは、長く流行語のように使われていた。
さらにこの小説には多くのメッセージが含まれている。
例えば、島崎雪子が生徒に対して
「いいですか。日本人のこれまでの暮らしの中で、一番間違っていたことは、全体のために個人の自由な意思や人格を犠牲にしておったということです。学校のためという名目で、下級生や同級生に対して不当な圧迫干渉をを加える。家のためという考え方で、家族個々の人格を束縛する。国家のためという名目で、国民をむりやりに一つの型にはめこもうとする。
それもほんとうに、全体のためを考えてやるのならいいんですが、実際は一部の人々が、自分の野心利欲を満たすためにやっていることが多かったのです。」