太宰治の『美少女』
昭和14年当時、『富嶽百景』の中に書かれていますが、太宰治は井伏鱒二夫妻の媒酌で甲府の石原美知子結婚して、甲府に住んでいたことがあります。この頃の作品は穏やかです。
甲府の湯村という温泉部落の大衆浴場(混浴)で会った少女のことを書いた『美少女』は10分くらいで読める短編です。私はこの小説が好きで、読み返すたびにニヤッとしてしまいます。ニヤッとするのは、美少女の裸に対する男の欲望とかではなく、文中の「あの少女は、よかった、いいものを見た、とこっそり胸の秘密の箱の中に隠して置いた」が、混浴で“美少女”と対峙した時の男の心理を代弁しています。
小説前半の引用とあらすじ
甲府に住んで初めての夏、北国生まれの私は、甲府盆地の容赦ない暑さに仰天した。家内はカラダ中のアセモに悩まされていた。歩いて20分くらいのところに湯村という温泉部落があり、妻は皮膚病に効くという大衆浴場に毎日通っていた。妻に、別天地のような浴場だからと、さそわれる。
浴場は清潔で、湯槽は三坪くらいで広くはない。先客が五人いた。一組は、品のいい老夫婦である。
(これからが「美少女」の登場で、ユーモアがある文が好きです)
—問題は、この老父婦に在るのではない、問題は別にあるのだ、私と対角線を為す湯槽の隅に、三人ひしと固まって、しゃがんでいる。七十くらいの老爺、からだが黒くかたまっていて、顔もくしゃくしゃ縮小して奇怪である。同じ年格好の老婆、小さく痩せていて胸が鎧戸のようにでこぼこしている。黄色い肌で、乳房がしぼんだ茶袋を思わせて、あわれである。老夫婦とも、人間の感じでない。きょろきょろしていて、穴にこもった狸のようである。あいだに、孫娘であろうか、じいさんばあさんに守護されているみたいに、ひっそりしゃがんでいる。そいつが、すばらしいのである。きたない貝殻に附着し、そのどすぐろい貝殻に守られている一粒の真珠である。
ちっともいやらしいものでは無く、崇高なほど立派なものだと思った。
(太宰治が女性のからだを書いた文章はないように思う、少女を崇高な観賞と思ったからでしょう)
すらっと立ちあがったとき、私は思わず眼を見張った。息が、つまるような気がした。素晴らしく大きい少女である五尺二寸もあるのではないかと思われた。見事なのである。コーヒー茶碗一ぱいになるくらいの豊かな乳房、なめらかなおなか、ぴちっと固くしまった四股、ちっとも恥じずに両手をぶらぶらさせて私の眼の前を通る。可愛いすきとおるほど白い小さな手であった。
人から話しかけられることが苦手な私は、湯槽の老夫婦達から話しかけられたら、どうしようと恐くなり、少しも早くここを逃げ出したくなって来た。そして、家内を置いて先に湯槽から出た。
帰りなしに、またちらっと少女を見た。ふたりの黒い老人のからだに、守られて、たからもののように見事に光って、じっとしている。あの少女は、よかった。いいものを見た、とこっそり胸の秘密の箱のなかに隠しておいた。
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