太宰治の「ヴィヨンの妻」を読んで

太宰治の「ヴィヨンの妻」

玉川上水沿いを井の頭公園まで歩きながら

太宰治文学館へ行って見よう。三鷹駅からiPhoneの地図をたよりに5分ほど歩くと太宰文学館の看板が見えた。小さいビルの一階が文学館らしい。ビルの前まで行くと、若い女性がもう半分ほどシャッターを降ろしている。時計を見ると、ちょうど5時だった。いつも出かける時間が遅いのでよくあることで、大袈裟にガッカリしたりはしない。

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せっかくだから玉川上水沿いを井の頭公園まで歩こう。上水沿いの太い桜の木の枝はいかにも暦歳のある曲がりで上水を覆い隠すように伸びている。情死の場所はこの辺だろう。柵から身を乗り出して薄暗い上水の底を覗き込んだ。

日が短くなった。井の頭公園はもう薄暗い。そうだ、あの甘酒とあんみつが美味しい店に寄ってみよう。閉っている。こちらは本当にガッカリした。木々の黒い影を映す池を一周した。ベンチは暗くなるのを待ちわびていた恋人達に占領されている。なぜ僕はこんな所にいるのだ。もう帰ろう。そう言えば、太宰治の「ヴィヨンの妻」で、放蕩夫の泥棒問題で途方にくれた妻が井の頭公園に来て、歩き回った、と書いてあったような気がした。帰りの電車で、iPadの青空文庫で「ヴィヨンの妻」を読み直してみよう。

ヴィヨンの妻

この小説の主人公は、知恵遅れの4才の子供と、お金を入れず放蕩を繰り返す詩人の夫を持つ妻(ヴィヨンの妻)である。夫が泥酔して帰った来た深夜、中野で小料理屋を営む初老の夫婦がたずねて来る。夫の大谷は、三年前に初めてその店に現れた。始めは静かに飲み、きまい良くお金を払った。でも、払ったのはその時だけで、その後何かと理由をつけて三年間一銭も払わないで飲み食いしていた。あげくに今夜、仕入れのために置いてあった五千円をわしづかみにして逃げ去った。さすがに小料理屋の夫婦は怒り、警察沙汰にするつもりで押しかけて来た。妻は夫の行動にわけがわからぬ可笑しさで笑ってしまうが、この始末は自分がつけるので一日だけ待ってもらう約束をする。

次の日、子供を連れて店をたずね「お金の都合はつきました、今晩ここに持って来るひとがいるので、それまで、人質としてお店を手伝いますと、あてのない嘘を、確信してるがように話す。その夜、深い帽子で顔を隠した夫が、女連れで店にやって来て、その女がお金を立て替えた。これで泥棒の件は落着したが、残りの借金を返すために妻は店で働き続けたいと頼み込む。店では人気で、チップももらい、老夫婦からも可愛がられて仕事に楽しみを見いだした。時折、夫が店に顔を出し、閉店後一緒に家に帰ることもあった。夫は店で盗んだお金は「子供と君のために良い正月をさせたかったと」と言い訳する。そんな夫に、妻は、あっさり一言「私たちは、生きていれさえすればいいのよ」と言う。

ある雨が降り出したある夜、小料理屋の常連の若い青年が傘で家まで送ってくれる。その深夜、男は再び家を訪れ、遅くなって帰れなくなったと言って玄関で良いから泊めてくれと頼む。そして次の朝、妻はあっけなくその男の手に入れられてしまう。この下りは、実生活で放蕩する太宰治が罪の意識を感じ、小説の妻にもこのくらいは、と思って付け足しのでしょうか。それとも自分は女遊びをするくせに妻には嫉妬心を持っていたのでしょうか。

どうしようもない夫以外は、妻を始め、料理屋の夫婦、夫の愛人と、とてつもなく良い人達なのです。太宰治の願望だったのでしょうか、事実だったような気がします。金持ちと貧乏、善と悪、愛と憎悪を大袈裟な違いと思わず、母のような包容力で受け止め、強くも、ナイーブな妻を書きたかったのでしょうか、暗い小説ではありません。

太宰治の作品のほとんどは青空文庫で読むことができます。

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