宮崎輝の「蛍川」を読んで

「蛍川」:宮崎輝

泥の河」は大阪、「蛍川」は富山が舞台です。事実、宮本輝は少年の頃大阪から富山に転居しており、「蛍川」も川縁の食堂を引き払った新潟に引っ越す決断したところで終わっています。「泥の河」の続編として読めます 。角川文庫の「泥の河」には「蛍川」も収録されています。

時代は昭和37年、日本海側の富山は裏日本と呼ばれていた時代です。私も東北の裏日本で生まれ育ちました。宮本輝が描くモノトーンの風景に溶け込むように入り込み、寂々とした風景に少年の頃の記憶が蘇ります。今の時代にから見れば貧困物語でしょう。でも、そんな時代でした。そこで採れるものを食べ、間伐を燃料にして、貧乏ながら収支がなりたっていました。

宮崎輝の光の表現が好きです。「泥の河」も「蛍川」も暗い影にゆらぐ光の描写が印象的です。同じように、人の不幸、悲しみに射す希望を、仄かな光のように表現しています。

その年の四月に大雪が降った。中学三年生の竜夫は、銀蔵爺さんと交わした約束を思い出した。「四月に大雪降った年に蛍が大発生する、一緒に蛍を見に行こう。」
夏が来る前に、竜夫を溺愛していた父が亡くなった。運が尽きて、貧困の最期だった。竜夫と母の千代は借金の返済ですべてを失い、富山を去るか決断を迫られていた。
銀蔵爺さん、竜夫、母の千代、そして達夫が思いを寄せる同級生の英子の四人は、川沿いを立山方向の上流へ上流へと歩く、夫々が、蛍の大群に過去の清算、人生の選択を賭けるような気持ちになっていた。
もう諦めかけていた時、四人は金縛りにあったように立ちすくむ、何十万もの蛍火がうねっている。それは心に描いていた華麗なおとぎ絵とはほど遠い妖光の大群だった。
川のほとりに降りた達夫と英子、二人に蛍の大群が波しぶきのように降り注ぎ、胸元やスカートの裾から中に入り込んだ蛍で、英子の白い肌が光りながらぽっと浮かび上がった。

そして最後の行は、「—川べりを覗き込んだ千代の喉元からかすかな悲鳴がこぼれ出た。—、光の綾なす妖光が、人間の形で立っていた。」
最後にもう1パラグラフ宮崎輝が書いていたら、どう書いたか知りたくなります。

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