力のはいった村上春樹の『走ることについて語るときに僕の語ること』

村上春樹の『走るこことについて語るときに僕の語ること』は、数年前に買ってからずっと本棚に眠っていました。私はジョッキングもしないので、内容に期待していなかったからです。
ところが面白い。他のエッセイとはちょっと違います。村上春樹の力のはいった「メモワール」です。それにハイレベルなハウツー本です。

『走ることについて語るときに僕の語ること』:村上春樹

走ることについて語る

本の題名の通り走ることについて語っている。村上春樹は、ほとんど毎日ジョッキングし、フルマラソン20回以上、100kmマラソン、トライアスロンに参加していて、走ることについて語るには十分過ぎる。
ジョッキング、長距離を走っているひとは、村上春樹と肉体、心的プロセスを自分に重ね、共有しながら読めるでしょう。また私のように走らない人でも、走るコースの風景、風、匂い、照りつける太陽、そして肉体的な苦痛などが見える。作家ならではのマラソン記です。

アテネでの初マラソンを引用

しかし体調は悪くない。エネルギーはまだ十分残っている。七部程度の力で、ちょうどいいペースをまもって確実に走り続ける。上り坂と下り坂が交互にやってくる。—–都心部を離れ、あたりはだんだん田園風景に変わっていく。途中あるネア・マクリという小さい村では、老人たちがカフェの前のテーブルに座って、朝のコーヒーを小さなカップから飲みながら僕が走り過ぎていく姿を無言のままじっと目で追っている。——–
30キロを越えたあたりで海から向かい風が吹き始め、マラトンに近づくにつれて、その勢いはますます強くなっていく。肌がひりひりするくらい強い風だ。——どれだけ水分を補給しても、あっという間に喉が渇いてしまう。——
35キロを越える。これから先は僕にとってテラ・インコグニタ(未知の大地)である。—–
37キロあたりで、なにもかもがつくづくいやになってしまう。ああ、いやだこれ以上走りたくない。—-からっぽのガソリンタンクを抱えて走り続ける自動車みたいな気分だ。——
40キロを越える。「あと2キロですよ。がんばって」と車から編集者が明るく声をかける。「口で言うのは簡単なんだよ」と言い返したいのだが、思うだけで声にならない。——
やっとゴールにたどり着く、達成感なんてものはどこにもない。僕の頭にあるのは「もうこれ以上走らなくてもいいんだという安堵感だけだ。

走ることを語るときに作家村上春樹を語っている

誰でも42キロ走れるわけではないし、作家も30年以上人気作品を書き続けることは難しい。
マラソンを通して作家村上春樹を語っている。
例えば、

ただ黙々と時間をかけて距離を走る。速く走りたいと感じればそれなりにスピードも出すが、たとえペースを上げてもその時間を短くし、身体が今感じている気持ちの良さをそのまま明日に持ち越すように心がける。長編小説と同じ要領だ。もっと書き続けられそうなところで、思い切って筆を置く。———継続することーリズムを断ち切らないこと。長期的な作業に作業にとってそれが重要だ。—-継続についてどんなに気をつかっても気をつかいすぎることはない。

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