桜が咲く頃になると読みたくなる梶井基次郎『桜の樹の下には』

『桜の樹の下には』:梶井基次郎

梶井基次郎の『桜の樹の下には』は数分で読める短い詩のような小説です。
「桜の樹の下には屍体が埋まっている!」は衝撃的な比喩で、桜が咲く頃になると思い出す。

「桜の樹の下には屍体が埋まっている!これは信じていいことなんだよ。何故って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。

梶井基次郎は、どんな満開の桜の樹を見て書いたのでろうか。始めて読んだときは、その気味悪い表現から、樹齢数百年の老桜が妖怪の手のようなに伸びた枝に満開の白い花びらをつけた桜を想像していた。そうではなくて、きっと青空に映えた普通に美しい桜の樹を見ていたのだろう。

『桜の樹の下には』の前年の1927年に発表された『冬の日』には、悪化する結核の病状に焦燥と絶望感を変わる冬の景色と重ねた心象が書かれている。

桜の樹の下に屍体が埋まっている!、は美しい桜と汚らわしい屍体は背中合わせで、同じ巡る輪のなかにあるという答えを見つけた安心感と、死期がじわじわせまる人間が美しいものを見たとき、目を背けたくなる汚れた惨劇と対比させることで、ぎりぎりの心の平衡を保つ。必死に悟ろうとする姿が見えるような気がします。

もうひとつ、梶井基次郎は作家とし最後まで役割を果たそうと決断した言葉のようにも思えます。

どうして俺が毎晩家へ帰って来る道で、俺の部屋の数ある道具のうちの、選りによ選ってちっぽけな薄っぺらいもの、安全剃刀の刃なんぞが、千里眼のように思い浮かんで来るのか—-

この不自然と思える挿入は、何度も自殺を考えていたということではないでしょうか。

それが、最後の行では、

今こそ俺は、あの樹の下で酒宴を開いている村人たちと同じ権利で、花見の酒が呑めそうな気がする。

また来年桜の咲く頃に読んでみよう。

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