松本哉の『寺田寅彦は忘れた頃にやって来る』

『寺田寅彦は忘れた頃にやって来る』:松本哉

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天災は忘れた頃にやってくる

「天災は忘れて頃にやってくる」は、物理学者で文筆家でもある寺田寅彦の言葉です。はからずも熊本で大地震が起きた。熊本は寺田寅彦にとって重要な地です。熊本高等学校時代の3年間を熊本で過している。そこで英語教師だった夏目漱石と会い、そして夏目漱石の紹介で東京で正岡子規と会うことになる。

寺田寅彦は大正12年9月1日の関東大震災を身をもって体験している。多くの随筆のなかに関東大地震についての随筆もあるはずだと思って、青空文庫にある200以上の随筆をチェックした。しかし関東大震災の随筆は見当たらない。

『寺田寅彦は忘れた頃にやってくる』

2002年発行の松本哉著の集英社新書『寺田寅彦は忘れた頃にやって来る』のなかに、寺田寅彦と関東大震災についての記述があった。この本は、物理学者として、文学者として寺田寅彦はどんな人物であったかを述べている。時代背景、地理的風土、交友関係などを盛り込んでいて寺田寅彦を読む指針となる。

第六章の「大地震の体験」の1部を引用する

そして大正12年9月1日の関東大震災である。寺田寅彦はまさに身をもって体験することになる。しかし、寺田寅彦がそのときすぐに発表した随筆などはない。いざああなってしまった以上、何を言っても後の祭り。そもそも、雑誌の発行がストップになってしまっていた。

寺田寅彦は物理学者として、被災現場を見て回ったり、復旧活動について専門家として意見を述べたりとかで忙しかったようです。

ただ、大地震の状況をドイツに滞在していた友人の小宮豊隆宛の手紙に書かれている。手紙は全集に収納されているようだ。この本でその手紙の全文を紹介している。かなり長いので結論らしきところを引用します。

—今度の地震は東京ではそうたいしたことはなかったのです。地面は四寸(10センチ少々)以上も動いたが、振動がのろくていわゆる加速度は大きくなかったから、火事さえなかったら、こんな騒ぎにはならなかった。死傷者の大多数はみな火災のためであります。火災を大ならしめた原因は風にもあるが、地震で水道が止まったこと、地震のために屋根が剥がれて飛び火をさかんにしたこと、余震の恐怖が消防を萎縮させたことなども大きな原因のようです。—-

調査の必要から昔の徳川時代の大地震記録を調べているが、今度われわれのなめたと同じような経験を昔の人はとうになめ尽くしている。それを忘却してしまって勝ってな真似ををしていたためこんなことになったと思う。昔に比べて今の人間がちっとも進歩していない。進歩しているのは物質だけでしょう。

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